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February 0822008

 雪の橋をヤマ去る一張羅の家族

                           野宮猛夫

宮猛夫。一九二三年北海道浜益村に八人兄弟の末っ子として生まれる。子供の頃は浜辺の昆布引きに加わり、尋常高等小学校卒業後、鰊船に乗る。鰊の不漁にともない、炭鉱に入る。炭鉱の落盤事故で死線をさまよい、脊椎を痛めたため川崎に出て、ダンプカーの運転に従事。俳句は、「青玄」、「寒雷」「道標」に拠り現在は「街」。一九五六年に「寒雷」に初投句で巻頭。そのときの句に「蛙けろけろ鉱夫ほら吹き三太の忌」「眉に闘志おうと五月の橋を来る」。これらは楸邨激賞の評を得た。生活の中から体ごと詩型にぶつけて作る態度である。労働のエネルギーはこの作家の場合は決してイデオロギーの主張にいかない。党派的なアジテーションや定番の宣伝画にはならない。原初のエネルギーで詩型が完結し昇華する。ヤマを去るときの家族の一張羅が切なくも美しい。上句の字余りがそのまま心情の屈折を映し出す。時代の真実も個人の真実もそこに刻印される。『地吹雪』(1959)所収。(今井 聖)


December 19122008

 卵落した妻睨れば妻われを視る

                           野宮猛夫

には「み」のルビあり。貧しさの中で、とげとげしくなる夫と妻。卵を落した妻をとがめる視線を夫が送れば、妻はあんたこそなによと夫を鋭く見返す。「オイ、もったいないじゃないか」「そんなこと、あんた、わたしに言えるの?」無言のうちに交わされる二種類の視線、「みる」が夫婦の関係、生活を浮き彫りにする。卵の貴重さも時代を映す。貧しさがテーマの句は「社会性俳句」の時代にはデモやストの句と並んでひとつの典型だった。しかし、それらの多くは貧しい庶民の「正しさ」「美しさ」を強調したため、政治宣伝のポスターのような図柄になった。ヘルメットを被りハンマーをもった青年が「団結」と叫んでいるようなどこかの国のポスターと同じである。「社会性俳句」は個別の内面に入ることを為し得なかったために「流行」に終わる。人間の、自己の心理を自己否定のようにえぐりだすこんな句は俳句の可能性を確実に拡げている。こんな切迫した瞬間の感覚に季節感の入り込む余地はない。『地吹雪』(1959)所収。(今井 聖)


October 02102009

 昨夜夢で逝かしめし妻火吹きおり

                           野宮猛夫

夜夢の中で死なせてしまった妻が今火吹き竹で火を起こしている。夢の中でどんなに悲嘆にくれておろおろしたことだろう。亡骸に向かって、あれもしてやればよかった、これも聞いてやればよかったと後悔ばかりがこみ上げて自分を責めて責めて。それにしてもどうしてあんな夢を見たのだろうか。伴侶への愛情というものが、それを表現する直接的な言葉を用いていないにもかかわらず切々と響いてくる。何より発想が斬新。そういえば私もそんな夢を見たことがあると読者を肯かせながら、それでいて誰もこれまでに詠むことのなかった世界。そんな「詩」の機微はいたるところに転がっているのだ。昨夜は音律本位でいえば「きぞ」と読むべきかもしれないが、日常感覚を重視するという意味でふつうに「さくや」と僕は読みたい。『地吹雪』(1959)所収。(今井 聖)


May 2852010

 西日つよくて猪首坑夫の弔辞吃る

                           野宮猛夫

首(いくび)のリアル。吃る(どもる)のリアル。ここまで書くのかと思ってしまう。俳句はここまで書ける詩なのだ。俳句はおかしみ、俳句は打座即刻。俳句は風土。俳句は観照。そんな言葉がどうも嘘臭く思えるのは僕の品性の問題かもしれない。諧謔も観照も風土も或いは花鳥も、人生の喜怒哀楽やリアルを包含する概念だと言われるとああそうですかねとは言ってみてもどうも心の底からは納得しない。風流韻事としての熟達の「芸」を見せられてもそれが何なのだ。坑夫の弔辞であるから、炭鉱事故がすぐ浮ぶ。猪首と吃るでこの坑夫の人柄も体躯もまざと浮んでくる。作品の中の「私」は必ずしも実際の「私」とイコールでなくてもいい。その通りだ。ならば、こんなリアル、こんな「私」を言葉で創作してみろよと言いたい。ここまで「創る」ことができれば一流の脚本家になれる。『地吹雪』(1959)所収。(今井 聖)


December 09122011

 坑底枯野めきポンプすっとんギーすっとんギー

                           野宮猛夫

分が目にしたことのない風景が見えてくるのは作品の力だ。見たこともない炭鉱の深い坑の底の枯野のような風景。灯に照らされた茫漠たるさまが浮ぶ。そこにあるポンプはおそらく地上より酸素を送るポンプだろうと想像できる。それ以外に想像できない。命をつなぐポンプだ。どうしてすっとんがひらがなで書かれ、ギーがかたかなで書かれているのか。その意図もすぐわかる。音の質が違うのだ。すっとんとギーの音質の違いをどうしても書かねば気がすまないからこんな工夫が生まれる。どうしてその違いを書かねばならないのか。それは表現を真実に近づけたいからだ。書くってことは所詮フィクションさ、とハナから割り切るひとはすっとんとギーを分けられない。俳句は見たものを写すことではなくて言葉で創っていくものだと思っているひともすっとんとギーを分ける意図と執念は理解できない。真実に近づこうとすれば表現が真実に近づくわけでもない。しかしそこに確かな真実があって、俳句という器の中でそれにどうにかして近づこうとする作者の態度が伝わるとき読むものを打つのだ。『地吹雪』(1959)所収。(今井 聖)


May 2552012

 眉に闘志おおと五月の橋をくる

                           野宮猛夫

志、真面目、努力、素朴、根性、正直、素直。こんな言葉に懐かしさを感じるのは何故だろう。あまり使われなくなったからだろう。使うとどこか恥ずかしいのは言葉が可笑しいのか恥ずかしがる方がひんまがっているのか。男が「おお」と手を挙げて橋のむこうからやってくる。貴方にこんな友だちがいるか。いても眉に闘志なんかない奴だろうな。へこへこした猫背のおじさんがにやにやしながらやってきて無言でちょっと手を挙げる。そんな現代だ。正面から真面目に一途にこちらにむかってぐんぐん来る。溌剌とした五月の男。そんな男がいたらむしろ迷惑なご時世かもしれない。正面も一途も溌剌も恥ずかしい言葉になってしまった変な時代だ、今は。『地吹雪』(1959)所載。(今井 聖)


August 1082012

 アッツの照二仔猫をまこと怖がりし

                           野宮猛夫

ッツの照二だけで、第二次大戦で日本軍が全滅したアッツ島にいた照二という兵隊であることが思われる。それ以外の展開はアッツの照二から僕は想像できない。最後の一兵まで突撃して生存者は1パーセント。だから屈強の兵だったことだろう。そのつわものが仔猫を怖がった。面白い。面白いが悲しい。おもしろうてやがて悲しきである。ほんとうに照二さんはいたのだろう。フィクションだったら山田洋次になれる。この句に並んで同じ作者の「くつなわ首に捲く照三も野に逝けり」がある。くつなわはくちなわのこと。自身の北海道訛がそのまま句になった。この二句がある限り照二と照三は忘れられることはない。確かに二人はこの世界に存在したと、読む者が確認する。「週刊俳句」(2011年4月24日号)所載。(今井 聖)


May 3152013

 帽灯をはずすと羽抜鳥めくよ

                           野宮猛夫

道に潜るための電球付きのヘルメットが帽灯。採炭の仕事を終えて頭からヘルメットを外すと髪がぺちゃんこになっていて、まるで羽抜鳥のように見える。当時はおしゃれな男性の髪はリーゼントが全盛だったろうから、余計に髪が後ろに突っ立って鳥に似てくる。労働、社会性、党派闘争というホップステップジャンプで導いたのはみんな高学歴エリートたちだ。実社会のみならず俳句の世界でもそうだった。「進歩的」エリートたちは最後のジャンプまで行かずステップまででリベラルを気取るか「わびさび」に引き返して勲章をもらう。野宮さんの作品はそんな意図から抜けている。労働のあとの髪を羽抜鳥に喩えるところからは党派的意図や教訓的箴言には跳ばない。実感そのものである。実はこの実感そのものというのが「詩」の本質なのだと強く思う。『地吹雪』(1959)所収。(今井 聖)




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